刀 綾小路定利(無銘)
(あやのこうじさだとし)
Katana:Ayanokoji Sadatoshi(Mumei)
古刀・山城 鎌倉中期 最上作 拵え付き
第十回重要刀剣指定品
本阿弥成善(琳雅)鞘書き有り

刃長:72.5(二尺三寸九分強) 反り:2.4 元幅:2.94
先幅:1.78 元重ね:0.70 先重ね:0.45 穴2

上天正拵え(江戸期 全長105 柄長24.5 鞘 黒塗の呂鞘 返り角あり 栗型 しとどめ有 小柄笄、赤銅魚子地、高彫色絵、束ね葵花図 下げ緒、深緑裏革 柄 黒塗鮫に下げ緒と同色深緑裏革 柄巻 縁、赤銅魚子地、金色絵桐紋図 目貫、赤銅魚子地金色絵、桐七ッ紋図 鍔 鉄地丸形地透、猪の目透花弁図)付き。

【コメント】
綾小路定利(無銘)の重要刀剣、上品で美しい地刃の出来、優美な刀姿は、三条、五条派といった古京物を彷彿とさせる古雅な名品です。
綾小路一派は、京都四条の綾小路にて鍛刀した一派と伝えられ、定利をその筆頭とし、門下には定吉らがいます。定利には東京国立博物館所蔵の国宝太刀一口を始め、重要文化財三口、重要美術品が六口残されています。
定利の活躍期に付いては、どの古伝書に於いてもほぼ文永(一二六四~七四年)頃と定め、同時代の来国行とも親交が深かったとしていますが、定利の作を姿、地刃の出来などから総合的に判断すると、国行よりも一時代古い京物、三条、五条派といった、いわゆる古京物に近いものがあります。そのため近年では、定利の製作年代を鎌倉前期とする見解も強くなっています。
同派の作は、小切っ先で元先身幅に差があり、反りは深いながらも、先はやや緩やかになる太刀姿が多く、焼き刃は基本的に刃幅が狭く、沸出来の小乱れに、小丁子、小互の目を交え、乱れの間隔が狭く、刃縁に沿って小模様の飛び焼きが点在し、湯走り、二重刃掛かり、帽子は掃き掛け、沸崩れが多く、鍛えは、柔らかな小板目肌に、杢目、流れ肌、地景交じるなど、前述した古京物に通じるような古調な作風、造り込みを基本とします。
本作は昭和三十八年(一九六三)、第十回の重要刀剣指定品、大磨り上げ無銘ながら『綾小路定利』と個銘まで極められた貴重な一振りです。
寸法二尺三寸九分強、元先身幅に差があり、腰反り深く踏ん張りのある姿ながら、先は反りがやや伏せ気味となって小峰に結んでいます。これは古京物、古備前、古伯耆など、平安末期から鎌倉初期の太刀姿と同様です。
細直刃湾れ調で、小丁子、小乱れ、小互の目交じりの焼き刃は、刃縁良く沸付き、細かな打ちのけ、ほつれ、二重刃掛かり、刃中金筋、砂流しが頻りに掛かっており、帽子も先が烈しく掃き掛けて焼き詰め風となるなど、随所に同派の特徴が良く示されています。
焼き刃も元から先まで健全で、刃が染みるような箇所、姿の崩れもありません。
本刀には、明治三十年(一八九七)四月上旬、本阿弥成善(琳雅)による鞘書きがあり、『山城国綾小路定利』の極め及び『代金子二百五十枚』の代付けが成されています。
琳雅は、明治、大正期に活躍した刀剣研磨及び鑑定師で、人間国宝本阿弥日洲の師であり義父に当たります。初め成善と銘じ、明治四十四年、琳雅と改名、昭和二年、六十八歳没。
また鞘書きには『元禄年中之折紙有之』とあることから、古くは、本阿弥光常(十二代)若しくは本阿弥光忠(十三代)の『元禄折紙』が附帯していたものと思われます。
綾小路の場合、本作のように個銘まで入っているものとそうでないものでは、大きく価値が異なります。地刃の出来、品格のある美しい太刀姿からしても、この極めは誰もが納得するところでしょう。
付属の外装も、江戸期の天正拵えで、大変上質な作です。
京物の典雅な雰囲気を存分に味わえる綾小路定利の優品です。







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