脇差し 長谷部国重
(はせべくにしげ)
Wakizashi:Hasebe Kunishige
古刀・山城 南北朝末期
第六十七回重要刀剣指定品(令和三年)(二〇二一)
探山先生鞘書き有り
刃長:48.3(一尺五寸九分強) 反り:1.5 元幅:2.40
先幅:1.66 元重ね:0.53 先重ね:0.36 穴1
【コメント】
長谷部国重の重要刀剣、烈しい皆焼風の出来を示した同工典型作優品、南北朝末期の短寸打刀スタイルを良く示した貴重な現存作になるでしょう。
南北朝中期、相州の廣光、秋廣と同様に皆焼風の派手やかな乱れ刃の作風を展開したのが、山城の長谷部一派です。正宗十哲の一人である国重を筆頭とし、弟の国信、子の国平、国信の子に宗信などがおり、活躍時期は、ほぼ同時期の文和(一三五二~五六)、延文(一三五六~六一)、貞治(一三六二~六八)頃になります。また国重には、室町初期応永(一三九四~一四二八)頃に掛けて同銘後代がいます。 作風は、刃文は湾れと互の目を基調とした沸出来の乱れ刃を本位とし、元先の焼き幅の広狭はそれ程目立たず、地の飛び焼き、湯走りは元から先まで均一に掛かり、帽子は大きく丸く返って、長く焼き下げ、そのまま棟焼きに繋がります。鍛えは板目肌を主体にして、刃寄りと棟寄りには流れ肌が目立ちます。身幅広く、寸延びて、浅く反りの付いた、いわゆる延文貞治型の大柄な造り込みが多いですが、国重には一尺前後の作が多く、至って重ねを薄く造り込む点も同派の見所です。
現存作には短刀、小脇差しが多く、太刀はほとんど見られません。
本作は、令和三年(二〇二一)、第六十七回の重要刀剣指定品、長谷部国重の生ぶ在銘品、年紀はありませんが、図譜に『時代南北朝末期』、探山先生鞘書きには『明徳(一三九〇~九二)頃』とあるように、代替わりの国重に当たります。
寸法一尺五寸九分強、やや細身で先反り深めのスタイルは、今で言う脇差しの寸法ですが、図譜及び鞘書きにもあるように、当時としては、脇差しという概念ではなく、短寸の打刀に属します。
板目に杢目交じり、所々大模様に肌立ち、刃寄り部分的に強く流れる地鉄、湾れ、小互の目、小乱れ主体の刃文は、腰元に大互の目乱れ交じり、刃沸荒沸付いて明るく冴え、刃中金筋、砂流し烈しく掛かり、所々沸裂け、沸崩れとなり、飛び焼き、湯走り、棟焼きを交えて皆焼状を呈しています。帽子も乱れ込んで焼き深く、先掃き掛けて大丸風に長く返って棟寄りを焼き下げるなど、一見して長谷部一派の皆焼と分かる出来ですが、図譜にも『南北朝期の長谷部に於いては珍しい鎬造り』とあるように、資料的価値及び希少性の高い逸品です。
地刃健全、生ぶ茎在銘で穴一つ、銘字も鮮明、これと同じ条件の物が、次にいつ出るか皆目見当も付きませんので、長谷部がお好きな方は、確実に押さえて頂きたい逸品です。