短刀 新藤五国廣(生ぶ無銘)
(しんとうごくにひろ)
Tanto:Shintogo Kunihiro(Mumei)
古刀・相模 鎌倉末期 最上作
第二十回重要刀剣指定品(昭和四十六年)(一九七一)
薫山先生鞘書き有り

刃長:26.2(八寸六分強) 内反り 元幅:2.40 元重ね:0.58 穴2
【コメント】
新藤五国廣の重要刀剣短刀、『相州鍛冶の原点ここにあり』と確信出来る鎌倉末期の名品です。
新藤五一派は、国光を筆頭に、その子と伝わる、国重、国廣、国泰三兄弟が代表工とされますが、有銘確実なのは国光と国廣のみです。古来より相州鎌倉鍛冶は、粟田口国綱、一文字助真、備前三郎国宗に始まると言いますが、作風様式論的には、事実状の祖は国光であり、現在では相州行光、正宗、越中則重は、国光門人とされています。
同派には短刀多く、太刀はほとんど見られません。
作風は、『梨子地肌』と呼ばれた粟田口一派に近い美しい地鉄に、地沸がより厚く付いて、地景の良く働いた鍛え、沸の光が強い直刃を本位とします。粟田口一派に比べ、地刃共に沸の働きがより強まったものが、新藤五一派の特徴と言えるでしょう。
本作は、生ぶ無銘ながら、新藤五国廣の極めが付された優品、昭和四十六年(一九七一)、第二十回重要刀剣指定品です。
寸法八寸六分強、内反りで重ねしっかりとしたスタイルは、鎌倉末葉の典型的な短刀姿、茎も振袖形になっています。
国廣は、前述したように、国光の次男で新藤五次郎と称し、後に父同様国光を名乗ったとも云います。活躍期は、鎌倉末期、文保二年(一三一八)、元亨四年(一三二四)の年紀作が残っています。
短刀の名手として、粟田口藤四郎吉光と双璧を成す父に勝るとも劣らない名工ですが、在銘現存作は僅少です。
小板目に板目、杢目を交えて良く詰んだ精良な地鉄は、刃寄り流れて上品に肌立ち、地景良く入り、沸映り立ち、細直刃調の刃は、刃縁匂い深く明るく潤み心となり、刃中良く沸付いて、金筋頻りに掛かり、刃区を深く焼き込んでいます。
表は素剣、裏は梵字に護摩箸をハバキ下で掻き流すなど、彫り物もピシッと決まっており、姿の崩れもなく、金着せ二重の台付きハバキ(被せ部分は金無垢)が付いています。
鎌倉末葉の短刀名人、新藤五国廣の典型作、これは見逃せません。



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