太刀 国宗(備前三郎)
(くにむね)
Tachi:Kunimune
古刀・山城 鎌倉中期 最上作 拵え付き
重要美術品(昭和十年八月三日認定)
『日本刀大鑑(古刀編二)』及び『十剣(古刀名作集)(柴田光男著)』
並びに『刀影摘録神津伯押形』所載品 島津家伝来品

刃長:62.0(二尺五分弱) 反り:2.5 元幅:2.77
先幅:2.02 元重ね:0.68 先重ね:0.46 穴3
上打ち刀拵え(全長86.5 柄長20.7 江戸後期 鞘 黒呂漆塗り 栗型 しとどめ金、返り角、四分一研磨地無文 小柄笄、赤銅魚子地高彫金色絵、葵紋図 下げ緒、古代紫色 柄 親鮫皮に紫糸柄巻き 縁頭、四分一研磨地無文 目貫、赤銅容彫金色絵、葵紋図 鍔 赤銅魚子地撫角形、据紋象嵌色絵、紋散図 葵紋と丸に十文字紋 切羽金無垢)付き。
【コメント】
備前三郎国宗の重要美術品、無類の健全さを誇る、鎌倉中期の在銘太刀、『日本刀大鑑』及び『十剣』並びに『神津伯押形』所載品、将軍家から島津家へ受け継がれた不朽の名刀です。
国宗は、長船派とはその系統を異にする備前直宗派に属する刀工で、備前国新田庄和気に住したと云います。初祖直宗を祖父とし、その子国真の三男であったことから、『備前三郎』と称しました。
古伝によると、後に鎌倉幕府第五代執権、北条時頼の招聘によって鎌倉に移住し、一文字助真、粟田口国綱と共に、相州鍛冶の先駆者の一人となったと伝わり、新藤五国光の父または師とも云います。
活躍期は、鎌倉中期正元(一二五九~六〇)頃、長船派の祖、長船光忠などとほぼ同時期で、国宝四口、重要文化財六口、重要美術品十八口を数える名工です。
造り込みは、身幅しっかりとした雄壮な姿から、やや細身の優しい姿まであり、小太刀も見られます。 その作域は広く、丁子刃主調の華やかな乱れを焼いたものと、直刃調の穏やかな刃文を焼いたものに大別されます。特に乱れ刃の作には、先天的に刃が潤むように白ける箇所がまま見られますが、これを古来より『備前三郎の白染み』と称し、同工の見所としています。
本作は、大変貴重な国宗在銘の太刀で、昭和十年八月三日に重要美術品に認定された同工傑出の一振りです。
重要美術品とは、昭和八年(一九三三)に制定された『重要美術品等の保存に関する法律』により認定された古美術品のことで、旧国宝保存法では、保護の対象となっていなかった日本の古美術品(歴史上又は美術上、特に重要な価値があると認められた物件)を保護し、海外流出等を防止する目的です。
この法律は、昭和二十五年(一九五〇)八月、『文化財保護法』施行に伴い廃止されましたが、それまでに重要美術品に認定されていた物品に付いては、重要文化財の指定を受けるか、あるいは海外輸出が許可されるか(重要美術品取消し)のいずれかに該当するまで、その効力は有効です。
寸法二尺五分弱、一番下が生ぶ穴で、二寸半程磨り上がっています。
切っ先やや詰まって猪首風、元先身幅の差が少なく、腰反り高い踏ん張りのある勇壮な太刀姿には、堂々たる風格が漂っています。
板目に杢目、流れ心の肌を交えて良く詰んだ精良な地鉄には、ほのかに乱れ映り立ち、刃は、丁子乱れ主体で高低少なく、上半は湾れ調、刃縁匂い勝ちに小沸付いて明るく冴え、刃中葉、小丁子、小互の目足頻りに入り、金筋、砂流しが掛かっています。
鎌倉中期を下らない在銘太刀で、刃がこれ程健全なことは、驚きしかありせん。
認定書、鞘書きに認定時の所有者は、公爵島津忠承(ただつぐ)(一九〇三~九〇年)氏となっていますが、同氏は、第八代日本赤十字社社長、結核予防会会長などを歴任した人物で、玉里島津家三代当主に当たります。玉里島津家は、薩摩藩十代藩主、島津久光(一八一七~八七年)を初代当主とする島津家の分家筋。
重厚感のある金無垢二重ハバキには、丸に三つ葉葵紋透かしが入っていることから、おそらくは藩政時代に、島津家が将軍家より拝領した 由緒正しき伝来品でしょう。
また本作は、『日本刀大鑑(古刀編二)』及び『十剣(古刀名作集)(柴田光男著)』並びに『刀影摘録神津伯押形』所載品です。
この国宗は凄い、現在の日刀保の水準で言えば、特別重要刀剣を上回るレベルと言っても過言ではないでしょう。
また重要美術品は、今後増えることはありません。今現存しているものが全てです。
外装も鞘から金具から全てピシッと整った上質な逸品、柄には立派な親鮫、赤銅魚子地の小柄、笄には葵紋、鐔には葵紋と丸に十文字紋を多数散らしてあり、切羽も金無垢です。
同工代表作として、あの『日本刀大鑑』、『十剣』、『神津伯押形』所載、伝来も超一流、これは大変な備前三郎国宗です。








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